航空写真

山手線沿線の中で
邸宅街としての歴史を
刻みつづける目白へ。

日々進化をつづける都心の中の都心、山手線エリア。
その傍らに、明治より伝えられた高台の
邸宅地として、今もその風趣と価値を
遺しつづける街があります。
目白の邸宅街の一画。街に育まれてきた閑静と風格、
そして豊かな緑と隣り合う暮らしが始まります。

Timeline
1885(明治18)年
山手線の前身となる日本鉄道品川線及び
目白駅が開業
1894(明治27)年
明治東京地震により
四谷の学習院が大きな被害を受ける
1908(明治41)年
学習院が現在地の目白駅前へ移転
1922(大正11)年
目白文化村(第一文化村)分譲開始
1923(大正12)年
関東大震災発生、以降は地盤の安定した
武蔵野台地への住宅移動が加速
1928(昭和3)年
学習院昭和寮(現在の日立目白クラブ)が竣工
1932(昭和7)年
尾張徳川家が目白に移転
目白通り(徒歩10分/約770m)
日立目白クラブ 旧学習院昭和寮(徒歩10分/約800m)
目おとめ山公園(徒歩10分/約750m)

武蔵野の高台に
先進文化と文教の地
として拓かれた目白。

目白駅周辺は大正から昭和にかけて、
華族たちが広大な屋敷を構え
後に「目白文化村」など、
当時珍しい西洋文化を採り入れた
先進の住宅地としても花開きました。
また、明治時代の震災を機に学習院が
目白駅前に移転したことで
教育施設が集中する文教地区となり、
その閑静な風景は今も受け継がれています。

高低差概念イラスト
JR「目白」駅(徒歩7分/約560m)

山手線を最寄りに持つ価値。
目白の品格に、
都市の利便を纏う。